第三回 行商と問屋さんのお話




 半世紀前の風鈴やさんはどうだったか、一筆語りましょう。


 昭和初期は不況の時代でした。職のない人が沢山いました。
その中から資本のいらない行商を進んでする人が、出てきたのは当然です。
風鈴の場合(ひき売りとも云う)、担ぐ台(風鈴を下げる)は、1日賃料いくら。商品は朝、数を数え、当日残高を調べいくつ売れたから、何円という風に即日決算をしました。
1週間も売れば1ヶ月ぐらいの収入が出来ました。現在の車社会と違い、路地裏どこでも行商が出来た時代でした。


 そんなわけで、風鈴やさんは売れて売れて大変忙しい思いをしました。我が家でもそのような行商の道具を何台も持っていました。


 一方、問屋さんは浅草蔵前ではたいていはどこでも扱っていました。その中で一番大きいのが池田玻璃商会でした。
我々が会社に納品というと、そこでした。夜の12時をすぎてもお店は開けており、小学生の私が大八車に風鈴を乗せ、小僧さんとよく納品に行きました。
倉庫に持って行くと、倉庫番のおじさんが大福帳に数量を書き込んでくれ、月末には現金になりました。
きっちりとした問屋制度が職人を守っていました。その他、傳田恭造商店、武者亀商店、立澤商店などがありました。現在では・・・そんな景気の良い話はありません。   第三回終わり



第四回へ続く


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