第四回 東武鉄道、虎橋通り駅界隈




 昭和初期、東武鉄道、亀戸線には亀戸駅から亀戸水神,平井街道、小村井、十間橋、虎橋通り、曳舟とありました。
 小村井駅は貨物の車庫、倉庫街などの駅でした。


 私の家の最寄り駅は、虎橋通り駅です。無人駅でした。
虎橋の由来は原忠質店のお虎おばあさんが私財を投じ用水路に橋を架けました。そこから虎橋と名付けられました。


 駅前から小さな商店街がつながっています。真ん中あたりに私の家がありました。横町を曲がるとそこは田園風景が広がるのどかなところでした。
田んぼがあり、畑があり、原っぱがあり、用水路などがある子供の遊び場にはもってこいのところでした。その商店の倅や娘が遊び仲間で芋屋の倅、パン屋の倅、佃煮屋の娘、アイス屋、下駄屋の娘、そして畳屋の倅がガキ大将でした。
みんな着物を着て遊んでいましたが、鼻をふく袖のところは「テカテカ」に光っていました。そして男と女は一緒には遊びませんでした。


 そのガキ大将は「子分」たちを従え、夜暗くなるまで遊んだものでした。「子分」たちへの分け前を集めるのもガキ大将の役目でした。
 たとえば、雨が降ると道は泥だらけになる、するとそこに藁をひいて人が歩きやすいようにしました。その藁を少し失敬し、乾かして自分のところの畳の藁と混ぜ、芋やさんに持って行くと、お芋と換えてくれました。
それをみんなで分けるのです。また、米屋さんでぬかを貰い、それを布に詰め、風呂屋さんに糠袋として売りに行くのでした。そのお金を集め、飴を買ったりしました。


 平成11年、けがをして墨田区中居堀にある病院に通う日が続いたのですが、その病院から歩いて10分もしないところに自分の家が残っていることを知りました。
立ち寄ってみると、板の外壁の上に新しくトタン板を打ち付けた、確かに昔10人家族ですんでいた長屋がそのまま残っていました。
子供の頃はあんなに広いと思っていた道が、この道なのかと思うとびっくりしました。


 私が住んでいた長屋の前にただずんでいると「きんちゃんあそぼー」と聞こえるような気がしました。  第四回終わり




第五回へ続く


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