第五回 名人「吉村清吉」(前篇)


 昭和10年代初頭、私は夜学に通いながら、父の手ほどきを受け、ガラス吹きを(風鈴)始めます。
 その当時のうちは昼夜を問わず、何組かの職人たちが2交替で24時間風鈴を作ると言った状態で、同業種の中でも、かなり大きな工場になっていました。
 そこに私も仕事場に入るとなれば、父にとって大いに意気が上がった時期ではないかと思います。明治生まれの父は頑固で(うちの家族は、わたしのことを頑固と言ってますが。)甘い言葉、余計な言葉など私にはかけてもくれませんでしたが、心の中では、嬉しかったに違いありません。
 私の息子が大学を出て、工場に入ったとき、私もとても嬉しかったからです。もちろん私も顔には出しませんでしたが。


 その父が、ある日、お伊勢参りなど、と言って旅に出ます。5,6日すると関西から一人の職人を連れてきました。
 その人が吉村清吉でした。


 清吉はたいへん男前で、歌舞伎役者をほうふつとさせる顔つきでした。
 服装も粋な着物姿で、この人がガラス職人なのかと思わせるほど、しゃれた上品な人でした。父はその人と私を組ませるつもりで連れてきたのです。
 その清吉は無口な人でした。余り自分のことは語らず、仕事一筋な人でした。翌日、仕事始めの時など、「おはよう」と「仕事場は常にきれいに掃除しなさい」だけでした。後は仕事だけでした。しかしその仕事が、これまた大変な幕開けだったのです。


 風鈴は、玉取りといって、3cmぐらいの小さい玉(風鈴の口になる部分)をつくる職人(口玉職人)。そして、そのうえにもう一度ガラスを巻き取り、ふくらまして風鈴にする職人(本職)。通常この二人が組んで、風鈴を作ります。
 私が玉取り、清吉が本職と言う具合に、組んだのです。ところが、清吉は私が作った口玉を見ては目の前で切り落としてしまうのです。ちくしょうと思いながらまた口玉を作るのですが、それも目の前で切り落としてしまいます。


 小さいころから父の仕事を見よう見まねで覚えたものです。年は若いが(13,4歳)仕事は一人前と思っていましたから、だんだん腹が立ってきました。
 その当時うちは「けだし」と言って出来上がった風鈴の個数にしたがって、手間賃を払っていました。ですから、他の職人は、数を作ることに専念して少しの時間も惜しんで、風鈴を作りました。しかし清吉は、朝から炉の脇に口玉の山を作っていたのです。
 工場の奥のほうで、父が苦虫を噛み潰したような顔でその風景を見ていましたが、口は挟みませんでした。私も生意気盛りです、「なぜこの口玉では、駄目なんですか。」と、くって掛かりました。しかし清吉は、悠然としたもので私を見つめました。


 目の中で、「こんな口玉で風鈴が吹けるか」と言っているのです。怒っているでもなく、諭しているでもなく、職人としての意地が私を見つめているのです。「親方の長男だからと言って、俺は甘くはしないぞ」と言っているのです。


 吉村清吉、38歳、独身、職人としては働き盛り。 「吉村清吉」前篇・終わり


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