第六回分 名人「吉村清吉」中編(第五回前篇から続く)



 初日はさんざんたるものでした。物心がつく前から火の前に立ち、父の手伝いをしていた私をひとつも清吉は認めませんでした。それは負けず嫌いの私の心に火をつけることになります。


 次の日から夜勤の職人の仕事が終わると、すぐに掃除をはじめ、ガラスくずひとつないようにきれいにし、水を打って、清吉の出勤を待ちました。
 このころの癖が86歳の今でも、私に箒を持たせています。清吉は工場の戸をあけた瞬間目を光らせましたが、表情は一切変えず、着物姿にたすきをかけ、炉の前に立ちました。
 私は昨日とは違い、口玉(風鈴の鳴り口になる部分。後で切り落とす。)の吹き方をひとつひとつ変えてみました。


 もともと風鈴はガラスの厚さを均一には作りません。ガラスが薄いところと厚いところを吹き分けてその違いが音に出てくるのです。
始めは昨日のように均等に丸く、玉子型、細長く、先のほうを厚く、元のほうを厚く、自分なりに考えつく限りいろいろなものを作り、清吉に渡したのです。
 口玉職人は本体職人の見習のような印象を受けますが、、そうではない独立した職人の部分もかなりあります。燃料にコークスを使っていたころは、炉の管理(昔風に言えば窯たき)、口玉を切り落とす。ともざを作りなど本体職人より仕事は、複雑多岐にわたっていました。
 また、そのような独立部分と、本体職人を補助する部分もあります。本体職人の風鈴を作りやすいような口玉を作る仕事がそれです。今、清吉との戦いに勝つには、どのような口玉を求めているか、それを探ることに気がついたからです。
 昔の職人はどうとか、こうとかあまり云いません。こちらでそれを探し出すのです。


 始めのうち清吉は「この未熟者め。」と思ったに違いありません。くる玉くる玉がすべて違うのです。
 職人というのは、同じ品質のものがいくつでも同じように作れるのが良いとされます。それがすべて違うとなれば言語道断です。そんな感じで、ここ数日は初日と同じ口玉の山が出来ました。父にとって見れば、 大損失です。


 名人といわれた職人を、若年な私と組ませたことに失敗かなと思い始めたころ、じっと見ていた清吉が私の口玉で風鈴を作ります。
子供の私にとってこのときの感激は忘れません。清吉が私を認めた瞬間だったからです。


 清吉の優れたところは、センスが磨かれていること。それを表現できる器用な腕をもっていたことでしょう。
 また今まで、台に腰をかけて仕事をしていたものを、立ち仕事にしたこと。それにより体が自由に動けるようになりました。数もほかの職人から比べると作りました。
 普通、どこの職人でも、1日700個が標準とされていました。私と組んで900個を清吉は作りました。問屋も職人を指定して作らせもしました。


 そんな清吉には清元をうなったり(ある家元の子と言う噂)、芸事でも粋な面もありました。第六回「名人吉村清吉」中編終わり



第七回 完結編に続く



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